2000-05-11 第147回国会 衆議院 農林水産委員会 第15号
○伴政府参考人 本事案につきましては、昭和六十年十月に羽田孜先生が秋田を訪問されまして、当時の秋田営林局長が現地を御案内申し上げております。それ以降、当該温泉の開発につきまして、林野関係で受けとめろというようなことまで、重ねて要請があった次第であります。
○伴政府参考人 本事案につきましては、昭和六十年十月に羽田孜先生が秋田を訪問されまして、当時の秋田営林局長が現地を御案内申し上げております。それ以降、当該温泉の開発につきまして、林野関係で受けとめろというようなことまで、重ねて要請があった次第であります。
林野庁に状況を確認いたしますと、昭和六十年、当時の自民党政調の農林部会の岩倉氏を伴って秋田を訪れた際に、当時の秋田営林局長が両氏を現地に案内したとのことであり、それから、内容はいろいろございますが、再三再四強い働きかけがありまして、結果として、林野弘済会が受け皿となって、出資を行い、株を取得したという経過があると、私どもの調査で確認いたしております。 ただ、林野庁長官はまだおいででないですよね。
四代目が中村廉、秋田営林局長、今農水委員長の秘書官。小泉孟、名古屋営林支局長。今が田代太志、青森営林局長。 それぞれの出資をした団体の発注。さっき、日林協の場合は委託というのが一つの設立の目的だと。おかしな目的ですが、日林協だけじゃなくて、この三団体とも、興林コンサルタントという会社に膨大な量の発注をしておる。 例えば林野弘済会、これは年間の発注件数が全部で八百十五件です。
いま読んだ文章は、四月二十六日わが党が秋田営林局長にあてた申し入れ書の前段であります。つまり、日本の林業経営に今日このような荒廃をもたらしたことは、国有林の当局者である営林局、または林野庁のもうけ主義、経営主義、それを第一義的に考えまして、いろいろなかっこうで手抜きした、そこに最大の原因があるのではないかと思うわけでありますが、長官の御意見を伺いたいと思います。
それからいま一つは、私のところの月山で——出羽三山のところに月山という山がありますが、ここに秋田営林局長が視察に来るというときの数日前に、鶴岡営林署ではあわてて、緑を守ろうとか山火事をなくそうとかいうものをべたべた張りつけたんですね。
これはなぜかといいますと、事の発端は、リフトを許可しようと片一方のほうに一生懸命になり、そうして片一方の会社のほうはあのやろういやなやつだからというので徹底的に抵抗して、これを許可しないように当時の営林署長、あるいはこれと相談した、法律用語でいえば共犯みたいになるのでしょうか、当時の秋田営林局長、こういう人々が多数の職制の命令系統をもって、いろいろな手練手管を使っているのです。
秋田営林局長なんかコチンパンです。あのばかやろうということを書いてある。弱腰で許可するからとか、最後になったら、おれはもっとえらくなるつもりだったけれども、同輩と中佐と中将くらいの差になってしまって、そうしてろくなことにならない年だった。どうも万事がばれてくるし、後半はぱっとしなかったということが書いてある。
そして内諾書を与え、正式に今度は国有林を貸付する許可証を与えたのは秋田営林局長です。なぜでしょう。これはどういうわけでしょうか。宮城県の領分だったら青森営林局長じゃないでしょうか。陸運局は仙台の陸運局だと思います。なぜ新潟の局長が許可し、秋田の営林局長がほかの県の国有林を貸す権限を持つに至ったのでしょう。
〃と言う、」そのために秋田営林局長が山形営林署長に、おまえは知事にどういうことを言ったかと言われて、「〃お前の連絡は舌足らずだ」とおこられているのです。そうしたら、営林署長は、自分でもおもしろくないと見えて、あたりまえの話じゃないか、ばかな知事じゃないから、知事がそんなことを言うのは、それはあたりまえの話だ、こういうふうに日記に書いてある。
○安宅委員 それでは北都開発商会に秋田営林局長から貸し付けの見込み書を下付したいということは知らなかった、こうおっしゃいますか。五月の二十三日……。
長官の答弁の前に、ちょっと林野庁のほうから答弁してもらいたいのでありますが、秋田営林局長が、十六日、東京地検で参考人としてですか取り調べを受けておる。その内容は答弁してもらいますが、それから、前の秋田営林局長、いま札幌の営林局長です。それから山形の営林署長が十五日にやはり取り調べを受けております。以下十何人か、国家公務員、民間人を含めて十数人がいま逮捕されあるいは取り調べられておるわけであります。
○安宅小委員 私が聞いたところによりますと、子幡という元秋田営林局長、現存札幌営林局長が、東京地検の取り調べを十六日ですかに受けておるはずであります。そういう報告が長官のところにこないのかどうか。
そこの会社と別な会社でありますが、これは前に秋田営林局長をやった男が社長の観光会社、この者に特にいろいろな仕事を山形営林署がさせるために、その会社の払い込み株数を変えたり、それからその会社が前から仕事をやっておったように見せかけるための擬装登記をしているのです。そしてばれそうになったら、その登記を今度写しをその会社に出しておきながら原本をまたもう一回偽造して、もとに戻しておるのです。
ただ最後に言っておきたいことは、林野庁の方に言っておきたいのでありますが、山形営林署長は元秋田営林局長をやった水野金一郎という人が社長の林友観光という会社に、特別の株券を増してみたり、それから設立の時期をごまかしてみたり何かして国有地を貸したりしておる。その中に、これは予算の分科会だから言うのでありますが、あまりでたらめに使っては困ると思うのです。
あるようですが、その場合には競願があるからこれは許可しない方針だなどという報告までして、そうして意識的にこの北都開発の申請書を受利しないでずっと延ばしておって、秋田営林局長の判断で一月ごろのものをその五月になって初めて入林の許可を与えておる。そうして五月二十三日に国有林の貸し付け見込み書を下付しておる。ところがそのあと、七月になると、新潟の陸運局も免許を下付しておる。
実はかねてから秋田等で問題になりましたことで、秋田営林局長の植杉氏にだいぶ前に会ったときのことを思い出す。植杉さんともわれわれかつて同じ仲間としてつきあいをしてきたわけですけれども、参議院の北村あるいは鶴園両議員とともに植杉局長に会った際に、われわれの知らぬ間にマイクを備えつけて、いろいろ会談の内容も録音をする。あるいはわれわれの知らぬ間に映写機でもって会見の内容をとった。
そうしてこの事件というものは、御承知のように水野金一郎という秋田営林局長さんは事件が発覚した当時にはもうやめておられた。従ってこれは退職しておられた。
(二)秋田営林局長水野金一郎は大いに驚きこの事件が決算委員会において寛大に取扱われるよう、委員長に対ししばしば上京して請託した。ある時は箱に入った贈物までをしたようである。その箱の中の物品が商品券であったか、札であったかは不明であるが、箱入りの物品を贈ったことは事実のようである。 (註)物品を贈与したことについては水野局長から証言をとる必要がある。
同夜蔦におきまして、農林省林野庁石谷業務部長、水野秋田営林局長及び全林野秋田支部労働組合代表の来訪を受け、秋田営林局管内山瀬営林署の廃止問題にからむ紛争事件について、それぞれの立場より説明を受け、われわれとしましてもその取扱いについて協議を行つたのであります。
当時秋田営林局長をいたしておりました業務部長もこの席に参つておりますが、当時の事情はまことにさんたんたるものであつたのでありまして、日本中から非常な同情が集まりまして、各地から救恤品なども相当たくさん送られておりました。もちろん秋田県内におきましては、各町村から応援者が出て、町の復興の手伝いをするというような事情であつたのであります。
なおその雑誌に対する投稿あるいは談話のことにつきましては、監督者である秋田営林局長にも注意を与えておるところでありまして、ただ品の勢いが走つてさようなことを申しましたのか、あるいは筆が走り過ぎてそういうことを書くように相なりましたか存じませんが、十分注意はいたしておるのであります。